メーデーとは?わかりやすく解説します。歴史的に紐を解いていきます。

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メーデーとは?わかりやすく解説します。歴史的に紐を解いていきます。イギリスで産業革命がおきてから、労働者の地位向上や労働条件の向上のためにアメリカのシカゴでの事件がきっかけで1889年に5月1日を国際労働者の日にパリで社会主義者の組織が決議する。

 

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メーデーとは?わかりやすく解説!!

 

その昔、産業革命が始まる前からも各国で労働者の長時間労働問題は、問題化することなく多くの過酷な労働条件と労働時間が強いられていました。

 

さらに、追い打ちをかけたのが、イギリスで産業革命と呼ばれる世紀の革命が起き、それまでのマニュファクチャリングという手作業から工場制の大量生産に移行しました。

 

ワットの蒸気機関の発明などでイギリスは世紀の大飛躍をします。

 

また同時期にはエジソンなどの電球の発明者など我々現在の生活を支える生活必需品の大発明時期といえる過程と進化の時代に突入しました。

 

このことが、後に人類に大悲劇を起こす2度の世界大戦にも影響することは人類が周知しています。

 

こうして人類が発展していく上での労働者の人権向上に影響したのがメーデーと呼ばれる国際労働者の日です。

 

メーデーとは、国際的に労働者の権利を訴える日とされています。

 

産業革命時には1日18時間以上もの労働時間を強いられていました。

 

これを是正して、8時間労働を目指した労働者たちが運動やデモによって行われた行動がメーデーの起源とされています。

 

 

国際労働者の日メーデーの歴史的経緯を紐解く

 

国際労働者の日メーデーは5月1日です。

 

EUなど80か国で祝日とされている日です。

 

残念ながら日本では、労働争議でメーデーを行う労働組合はありますが、祝日ではないところにアジア的半封建制度になじんでしまった日本国民の真の姿が見えます!!

 

現代でもブラック企業という言葉がありますが、とにかく労働者の立場が昨今、弱すぎる立場に移行しているようにも思えます。

 

労働者の人権を無視しても利潤追求型の企業運営を迫られる企業経営者達!!

 

もはや戦後ではないという1950年代の日本国民の勢いと希望を今一度考え、すべての国民が生きるための幸福度が高くなるような政治・経済政策も求められる大転換期にすでに入っているという時期です。

 

日本国民の労働者は学問を学び、労働者の権利を追求しましょう!!

 

子や孫に笑える人生を送ってもらうためにも皆で真剣に労働者の権利を考える必要があります。

 

18世紀後半から19世紀前半

 

この時期は、イギリスで産業革命が起こりました。ワットの蒸気機関などが有名です!!

 

欧米では、長時間労働が問題になりました。

 

1817年

 

英国の実業家で社会主義者のR・オーウエンが「8時間労働」のスローガンをよびかける!!

 

1840年

 

ニュージーランドのウエリントンで8時間労働制を実現するという報告がある。

 

1860年代

 

アメリカ北部工業都市で8時間労働実現の運動が行われる。

 

1882年

 

9月5日にニューヨークで約1万人の労働者が行進する。

 

1884年

 

米労働総同盟(AFL)の前身、合衆国カナダ職能労働組合連盟が86年5月1日以降に法定労働時間は8時間という要求をする。

 

1886年

 

5月1日に8時間労働を求め、全米で30万人以上の統一ストライキが行われる。

 

シカゴでは4万人くらい

 

1886年5月3日

 

シカゴで警察官が発砲して労働者に死傷者がでる。

 

1886年5月4日

 

ヘイマーケット暴動・・・シカゴのヘイマーケット広場で集会の際に爆弾が爆発して警官が7名程度死亡した。負傷者は60名にも上ると記録されている。

 

労働者は、8名程度が死亡し、負傷者が40名程度とされている。

 

首謀者不明のまま労働運動主導者たち8名が殺人罪で起訴され、4人が絞首刑、1人自殺などになる。

 

6年後には、イリノイ州知事が冤罪を認める事件!!

 

1889年

 

米労働総同盟(AFL)会長のS・ゴンパーズなどがヘイマーケット事件などにより5月1日を8時間労働実現の世界的行動の日とすることを提唱する!!

 

メーデー国際労働者の日になる!!

 

日本では2020年にメーデー100周年!!

 

日本でも労働者たちの権利を確保するための労働争議は行われてきました。

 

しかし、第二次世界大戦前までは、日本はアジア的半封建制度の資本主義の下で多くの労働争議は、国家権力に揉み消された事実があります。

 

日本人には、人権よりは権力者に黙って従う。

 

今の世でも同じような気がしますが、それでも戦前の人権よりはかなり進歩がありました。

 

それでは、日本の労働者の権利の歴史を紐解いていきましょう!!

 

1900年

 

治安警察法制定・・・日清戦争後に労働運動を取り締まる機運が高まる。

 

1920年

 

大正デモクラシーという世界的な民主主義運動の発展とロシア革命などが契機となり、護憲運動、普通選挙、労働運動、社会主義運動が高まった時期であった。しかし、相変わらず、国家権力のほうが強く、目立つ運動員は容赦なく投獄されていたという記録が残っている。

 

日本で初のメーデー1920年5月2日

 

世界的にメーデーの機運が高まり、日本でも1920年5月2日に第一回メーデーが開催される。

 

翌年からは5月1日に開催されている。

 

 

  • 8時間制労働の実現の要求
  • 失業の防止
  • 最低賃金法の制定

 

 

1925年

 

治安維持法の制定・・・社会主義者・労働運動・思想・学問・言論・表現などの一切の自由を弾圧!!

 

現代の北朝鮮が当時の日本だったと思えばどれだけ日本という国がひどい国かが理解できます。

 

戦後、敗戦国となりようやくまともな考えを取り入れることを考える国になったといえます。

 

1936年

 

二・二六事件が起こる。戒厳令で第17回メーデー開催禁止される。その後も太平洋戦争で中断される。

 

1945年

 

労働組合法制定・・・・労働三権の制定

 

 

  • 労働者の団結権
  • 団体交渉権
  • ストライキ権

 

 

1946年

 

メーデー再開

 

皇居広場前で約50万人が飯米獲得人民大会を開催。全国で述べ250万人が参加する。

 

1947年

 

新たな日本国憲法が施行される。労働三権を明記される。

 

1950年

 

日本労働組合総評議会結成される。

 

1952年

 

血のメーデーといわれる日本国の再軍備に反対するデモが起きる。警官隊と衝突する。

 

皇居前広場でのデモで死傷者2名、負傷者1000人、逮捕者1200名もでる。

 

1955年

 

春闘が始まる。

 

全国の官公庁や大手民間で解雇が横行する。

 

1960年

 

日米安保改定調印

 

1964年

 

全日本労働総同盟結成

 

東京オリンピック開催

 

1973年

 

第一次オイルショック

 

1975年

 

スト権ストが行われる。73年以降賃上げや生活向上をスローガンに行われる。

 

1989年

 

労働戦線再編 メーデー分裂開催

 

  • 連合
  • 全労連
  • 全労協

 

など3つの組織に分かれて開催される。

 

バブル景気の全盛期であった89年を境に92年にはバブル崩壊という事態が起きる。

 

この後、日本の構造的問題が著しく社会問題化する。

 

この時の対応対策が小手に回りその後の、長期不況を引き起こす。

 

今もなお引き続き起こっているこのツケは大きな社会問題を生む。

 

2001年

 

連合がメーデーの開催日を5月1日から4月最終土曜日などに変更

 

2000年代は長期平成不況気に入り、長時間労働・格差問題是正などをスローガンにデモなどの行進が行われる。

 

しかし、この時期は労働者の格差が広がるばかりで、社会的構造が変化している時期であった。

 

派遣労働者という言葉が流行となり、派遣切りと言われる問題を引き起こす時代へと突入する。

 

2020年

 

メーデー100周年!!実質91年目です。(戦争で中断されていた。)

 

2020年1月末に中国武漢で発生した新型コロナウイルスCOPID-19による爆発的な感染者数が増加して、死傷者も2%から13%に及ぶウイルスの脅威で世界的に不況が起きる。

 

世界各国で国境封鎖や入国禁止などの措置が講じられ感染拡大を抑止している最中である。

 

多くの店が営業自粛し、失業・倒産など多くの労働者に大きな問題を引き起こしている。

 

世界各国で、国民に給付金を支給するなどの緊急処置が施されている最中であるが、このツケはいずれ自国民によって清算される大きな負の遺産になる。

 

※参考文献:日本報道メディア資料等・厚生労働省・総務省資料等

 

 

 

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